重文見聞録1 渡部家住宅

今回は愛媛県松山市東方町1238番地にある重要文化財の「渡部家住宅」を取り上げてみたいと思います。

 

[堂々とした長屋門]

 

 

渡部家住宅は1866年に上棟した庄屋さんの家で、

 

現在は重要文化財渡部家住宅保護財団が所有、管理しています。

 

[3000俵を収納することができる倉。その扉もまた漆喰による耐火構造でつくられている]

 

この建物の特徴としては、農家でありながら、実質中身は武家屋敷であることです。

 

士農工商の身分がある中で農家は茅葺き屋根が原則で瓦ぶき屋根は許されていませんでした。

 

そのため下の写真のような越し屋根で農家であることを示したそうです。

他にも実質武家屋敷としての特徴を見てみます。

 

[玄関の間には槍かけがある]

 

[プライベートな空間である居間のふすまの奥に隠し階段があり、

 

屋根裏部屋に上がると種子島銃が備えてあった。そこから狙撃できるような構造になっている]

 

[神前の間にはどんでん返しの扉があり、武者隠しのようになっていたらしい]

 

 

 

ペリーの黒船来航が1853年、戊辰戦争が1869年なのでこの渡部家住宅が

 

上棟した1866年ごろはまさに幕末の動乱期であり、セキュリティーの面でも注意を払ったのでしょう。

 

地理的に土佐藩の脱藩浪人が脱走するルートに近かったかもしれません。

 

 

 

 

内装についても見てみましょう。

 

建物を大きく分けると公的な部分と私的な部分に分かれます。

 

公的な部分には藩主を接遇するための表座敷や、米の俵詰めをする土間部分などがあります。

 

[たたきといわれる入口の土間。小屋部分に必要以上に頑丈な梁を

みせつけて庄屋の威厳をしめし、一揆などが起こらないようにしたらしい]

 

 

 

[松山藩主を迎えるための表座敷。長押しの釘隠しには旧藩主久松家の家紋、星梅鉢が装飾されている]

 

 

私的な空間も見てみましょう。

[居間のふすま。重文に指定されるまで放置されていたため

 

傷んでいるが、この書を見るためだけに来る人もいるとか]

 

 

[居住部のふすまに桐紋がプリントされているようにみえる]

 

 

    

[お産部屋のこの部分だけ、螺鈿の施されたぬりかべが塗られていた]

 

最後に管理人さんが教えてくれた、話。

 

公的な部分の濡れ縁の隅のほうの柱にひょうたんの模様が彫られていました。

    

同様に軒天に扇型や将棋の駒の模様が彫られており、

 

これは大工さんがいたずらで彫ったものらしいです。

 

当時このように棟梁がどこかにいたずらとして彫り物することがよくあったそうです。

 

施主と棟梁の信頼関係がうかがわれますね。

 

 

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