重文見聞録4 日光田母沢御用邸①

今回は栃木県日光市にある、日光田母沢御用邸を取り上げてみたいと思います。

 

 

日光田母沢御用邸は大正天皇のご静養のために1899年に造営された木造建築で、明治期に造営された御用邸の中では最大規模であり、現存する唯一の建物です。

 

 

 

 

この建物は一度にすべてが建設されたわけではありません。

 

明治時代の建物である銀行家小林家別邸に、江戸時代の建物である紀州徳川家江戸中屋敷を移築したあと、大正時代に大規模な増改築が行われました。

 

 

 

したがってひとつながりの建物ではあっても江戸、明治、大正時代の建築様式を見ることができることがこの御用邸の大きな特色です。

 

 

 

 

この田母沢御用邸は106部屋もの部屋数を誇り、そのすべてを記事にすることはできないため、私が勝手に3つのポイントに絞って3回に分けて解説してみたいと思います。

 

 

 

 

 

ポイントその① 皇室らしいもの

 

今回は一般住宅の重要文化財や神社仏閣とは違って皇室関係の建物らしいところをあげてみたいと思います。

 

 

●謁見所(えっけんじょ)

  

ここは謁見所で公式の来客の面会に使用されました。

 

 

謁見所には玉座がありますが、大正天皇は座られたことがないとか。左の台はお帽子を置かれた台だそうです。

 

地袋の天板にも菊の御紋の錺金物がついています。

 

床は畳敷きの上に20色のアキスミンスターカーペットが敷かれていました。

 

欄間は建築様式とかかわりがあり、部屋の格式によって使い分けられています。

 

上の写真は竹の節欄間で、用途が他の部屋と明らかに異なる謁見所と御座所に面する廊下に設置されています。

 

またこの謁見所は大正時代に増築された部分です。

 

●剣爾の間(けんじのま)

剣璽とは三種の神器のうち草薙の剣(くさなぎのつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を併せた呼称です。

 

剣璽の間は神器が安置されていた部屋で天皇の寝室の隣に位置する部屋でした。

 

剣璽の間の一番奥にある剣と勾玉が安置されていた場所には繧繝縁(うんげんべり)の厚畳が敷かれています。

 

繧繝縁はもっとも格式の高い畳縁で昔は天皇しか用いることのできないものでした。

 

●ご学問所

ご学問所は「梅の間」とも呼ばれた部屋で田母沢御用邸の中で最も壁に意匠を凝らした部屋でした。

 

たぶんこちらの床もアキスミンスターカーペットだと思います。

 

 

ご学問所は天皇陛下の書斎でした。

 

 

●ご日拝所

ここは天皇陛下が先祖に遥拝する場所だったらしく立ち入りは禁止の神聖な部屋でした。

 

ご学問所と剣璽の間とご日拝所は江戸時代の建築部分です。

 

 

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重文見聞録4 日光田母沢御用邸②